サケ(白鮭)―秋あじ(秋味) サケ目サケ科サケ属
ベニザケ、ギンザケ、カラフトマス、マスノスケとサケ属にも様々な種類がありますが、日本では秋に遡上する秋あじが鮭として一般的です。秋あじはサケ属の中で最も肉色に赤みが少ないところから「白鮭」と呼ばれています。(写真下)


鮭は川で産卵され稚魚となり、流下したのち初夏までを沿岸部で過ごします。水温の上昇とともに海を北上し、アリューシャン列島〜ベーリング海〜カムチャッカ半島〜千島列島を四年ほどかけて回遊してきます。
すこし詳しい方なら、鮭にも色々な呼び方があることをご存知のことと思います。これらは同種内での発達段階の違いで、最も若い「けいじ(鮭児)」、およそ半年後には成熟する「ときしらず(時不知)」、成熟間近の「めぢか(目近)」、成熟して母川に帰ってきた「秋あじ(秋味)」と分けられます。
発達段階の違いは個体の脂肪分に違いがあり、成熟したものほどその脂肪分が少なくなります。産卵のために沿岸部に近付くと、鮭は何も食べなくなります。つまり、それまで貯えたエネルギーのみで遡上し産卵する訳です。したがって、川へ遡上したものはほぼ商品価値がありません。
筋子にしても産卵間近になると皮が硬くなり食味・食感が悪くなります。よくテレビなどで見かける川での捕獲は、養殖事業目的で捕獲されているもので、それらが食卓に出回ることはありません。川に遡上したものを、本場北海道では「ホッチャリ」と呼び食用にはしません。
「ときしらず」は春から夏にかけて沿岸を回遊しているところを捕獲されたものです。日本の川に遡上するものではないと考えられていて、捕獲量は極めて少ないのです。塩焼きやルイベで食すと美味です。
さらに捕獲量が少ないのが「けいじ」で、知床周辺でも年間数百尾程度と言われています。また、秋あじは腹の部分に赤みが出ているものは美味しくない証拠、婚姻色が出たもので、ブナとかブナケと呼ばれ肉質・卵質ともに劣ります。
鮭というと鮭弁当の鮭しか思い浮かばない方には、是非本場の食べ方を一度は味わって貰いたいところです。本州の方でも正月間近の市場には、塩漬けされた鮭「新巻き」が並びます。それを切って焼くというポピュラーなものだけでなく、例えば「チャンチャン焼き」という鮭をまるごと使った豪快な料理もあります。鮭を凍らせて刺身にした「ルイベ」。頭の部分を使う「荒汁」。変わったところでは、背骨に沿ってついている鮭の腎臓を漬け込んで塩辛のようにした「めふん」なんていう珍味もあります。
鮭は捨てるところがないと言われます。東北でも一部捕れますが、全国の75%を漁獲している本場・北海道の鮭料理を一度は存分に味わって貰いたいものです。
新巻きをおみやげにしようという方は、三つの点に留意、まず鮮度を見るなら頭、ぬめりがあるものは鮮度が落ちています。つぎに身、うろこが銀色に光っていること、同時に腹部が厚みがある方がよく、脂が乗っている証拠です。先述のように、腹部に赤みが入っているものは避けてください。
キングサーモンの少々怖いお話
鮭と言えば、もう日本人の食生活には欠かすことのできない代物です。狂牛病だ鳥インフルエンザだと、昨今随分と食の安全性が取り沙汰されましたが、まだ残っていますゾ!
キングサーモンとか云って売っている代物です。欧米人には鮭と鱒を区別する風習がありません。したがって、鮭も鱒もサーモンでひとくくりにされています。なおかつ、意外と食べる習慣が少ない。どういう訳か輸入されているサーモンのほとんどは養殖ものです。
ご存じの通り、鮭は回遊魚です。回遊するうちに甲殻類やプランクトン、海草などを食べて、その中に含まれるカンタキサンチンやアスタキサンチンという物質を摂取することにより身が赤くなるです。もともとは白身魚です。
養殖サーモンはよりによって「ケージ(鮭児?)」と呼ばれる檻の中で育てられます。与えられるエサも穀物類が中心。当然、身は赤くなりません。そこで、着色料を使います、それも薬品天国・日本ですら禁止されている合成カンタキサンチンが使われます。
それ以外にも、抗生物質をはじめとする数十種類の薬品漬けにされています。最後に残留薬物を基準値まで落とすために、10日間ほどエサ抜きの生活を強いられた上で輸出されます。
道理で絵の具で色づけしたようにオレンジ色な訳です。3〜4年回遊するサーモンには強靱な肉体が要求されます。あんな妙な柔らかさは天然のサーモンにある訳もなく、定規で引いたようにきれいに脂の層がならんでいるなんてこともある筈もなし。
キングサーモンなんて、いかにも鮭の王様だと云わんばかりの名前。くわばらくわばら、買うのは消費者、利口にならなければいけません。また、あれを食べておかしいなと感じない舌にも問題あり!見栄えの良さに騙されて、舌の感覚まで麻痺していませんか。
サケ文化のお話
サケは北海道を代表する食材です。その歴史は古く、擦文時代の遺跡からサケを捕獲したと推定される装置が発見され、アイヌ民族もまたサケ漁を生業のもとにしてきました。産卵のため母川に回帰する習性を利用した漁法が発達し、親魚の保護や人工孵化事業も早くから行われてきました。母川回避は生命のドラマを生み、自然環境保護の目に見える指標でもあります。
<カムバックサーモン運動> 1978年当時、吉崎昌一・北大文学部助教授が中心になって「さっぽろサケの会」を立ち上げ、翌3月、初めて20万匹のサケの稚魚を放したのがはじまり。最終的に、この年はおよそ100万匹が放流され巣立った。
2年後の1981年秋、市民が待ち構える中、長旅を終えた放流一期生が豊平川に戻ってきました。その「事件」は、全国に大きく伝えられ、現在でもその運動の波及は本州にまで及んでいます。